現在西生寺がある場所は、元々細川小倉藩第2代藩主忠利の浜御殿(お茶屋)がありましたが、その当時から使われていた井戸が当寺境内地に残っています。 寛文3年(1663)、宿場町にあった西生寺は現在地に移り、歴代藩主は領内視察等の折に、度々当寺へ立ち寄られました。 その際に、お側役で歌人でもあった秋山光彪は、次のような歌を詠んでいます。 みほとけに くみてさゝぐる いさら井の あかぬは浦の みるめなりけり