明治36年(1903)、神戸の合名会社であった鈴木商店は、大里の地に大里製糖所(現在の関門製糖の前身)を創設しました。この工場建設の時、その用地内の共同墓地にあった無縁墓を、当時創立主任であった人見一太郎は、西生寺境内に移し埋め標木を建てて『萬世一夢』と名付けました。標木はその後、現在の自然石に取り替えられました。 企救郡柳ケ浦村第2代村長で後に大里町の町会議員となった辻半兵衛は、次のような歌を詠んでいます。 在りし身は 夢と消えても 祭られし 魂は萬世 うれしかるらん